ちょっとそこまでは……と尻込みしたくなる人、だけどなにかすぐにやってみたい人にお勧めなのは、次。
いま使っているノートのどこかに「!」と「?」を書き込んでいく。
やれば心がすこしは動く。それが大切。
「よく考えてから」なんて思わなくてけっこう。
授業関連でなくてもOK。
落書きから初めてもOK。
それもノートをあなたのものにとりもどす第一歩です。
授業関連といっても、
- 「眠い」
- 「どこがおもしろい?」
- 「難しい……」
- 「これとこれのちがい?」
- 「夕べの映画、ヒント」
- 「仮説をあとで」
これらはすべて大切な記録です。
私はたいてい「int!」と「bor」 (interesting と boring)。その場で書き込みます(学会とかフィールドワークで)。
自信はありません。「面白そう!」、だけれどもまだ整理できなかったり、「退屈!」、だけれども他人から「興味深かった」と言われれば「自分がおかしいのかも」と思ってしまったりと、そんな程度。
それでもいい。。
考えたことがあれば、ノートの一番下にぱーっと線を引いて「ntok」(つまり「これは私が考えたことだよ」の意)という印を入れて、メモ。浮かんだ単語だけでもかまいません。
Q: 何から書き始めればよいのでしょう。
A: 最初はなんでもいいです。 慣れてからでも、なんでもいいです A^^)。
Q: 本当になんでもよいのですか。
A: はい。
Q: ノートの隅に「眠い」とかでもいいんですか。
A: ええ。
Q: ウソじゃありませんか。
A: ウソではありません。私もやってます。
Q: だってそんなことしても……本当に本当にいいんですか?
A: だって、そのノートはあなたのものですよ。何を書くかについて、誰になんの許可を求める必要もありません。
Q: 続かなくて……無駄になりそうです。
A: 三日坊主でいいのです。来月、また三日坊主をやってください。文字通り「三日」坊主でも、それを毎月やれば一年で36日。丸一ヶ月分以上ですよ。さぁ、「やってもやらなくても同じ」ですか?
Q: 同じことの繰り返しになりませんか?
A: 「やらねば」が邪魔しなければ。三日坊主でおわると、なにか「気がかり」が残るものです。実は、それが大切。やっているうちに、その気がかりに気づいて、書く内容の選択ができるようになります。もちろん根気も必要ですが、「ともかくやらねば」が勝ちすぎると、本心はつまらないのにひたすら続けて疲れてしまうことがあるのです。
「ノートにらくがきしてはいけません」と、多くの人が小さなころから言い聞かされてきたかもしれません。中学や高校では「ノートを提出」なんていう義務を課されていたかもしれません。だから、ノートの端っこに「ハラへった」なんていう書き込みをしようなどとは、もう誰も思いつきもしないことでしょう。
「いや、それは内容の理解と関係ないからだ」という声が聞こえてきそうですね。いい指摘です。さぁ、では省みてください。
--「理解にかかわることなら書き込んでいただろうか」。
実際には誰にも見られないのに「こんなこと書いたらレベル低いと思われないか」と不安にかられていませんか。心の中の、いつしか自分で勝手につくりあげた「検閲官」の視線や声が気になっているのではありませんか。 その結果として余白は文字通り「真っ白」になっていませんか。
私に言わせれば、「眠い」と「おもしろい」は等価です。将来これを見るであろう自分への重要なメッセージであるという点で。
書き込みのあるノートはあなたのものです。心を凍らせた機械的な結果ではなく、あなたが心を動かして何かを探してゆく過程です。他人にやってもらうことのできないもの、他人にゆずりわたすことのできないものです。
ノートをただ板書の筆写のためだけに使っているとしたら、時間のムダ、人生の浪費……くらいに考えましょう。