作品の「目次」案を作る。
「問い」-「答え」の応答関係が第一。
重点
作品の「目次」案を作る。
「問い」-「答え」の応答関係が第一。
なにが問題で、なにが答えで、なにが手段・方法だったのか。論を組み立てるとか構成するというのは、それらを「わけてつなぐ」ということ。
「報告の構成」を参考にして目次案をつくり、カードに書いて、机の前にはっておくとよいでしょう。構成力がだんぜん違ってくるはず。
注意。いまは「書く順番」のことを述べています。「考える順番」として「結論を先に決めろ」等と言っているのではありません。
よい作品にしようと思うなら「下書き」をしてみるなどは当然。それを一度読んで、次のことをチェックしてみるとよいでしょう。
以下、それぞれについて見てみましょう。
たとえば次のような文章は、何が問いであり何が答えであるのか読みとりづらい、「悪い例」です。
1+1はいくつになるだろうか。たとえばミカンがこちらにひとつあり、あちらに別のミカンがひとつある。加えたらいくらだろうか。これなら簡単だ。しかし、こちらのミカンひとつとあちらのリンゴひとつは足してよいのだろうか。となると、「1」とはなんだろうか、ということになる。数学とは難しいものだと感じた。そういえば数学と算数はどこがちがうのだろう。 それはいずれでもよいが、結局、それで何になるのかという問題なのだろう。
ジェンダーとはなにか。通常、それは「社会的・文化的に作られた性差」のこととされている。しかし、「社会的・文化的」とは、どういうことだろうか。社会と文化は同じものだろうか。言葉の定義とは難しいものだ。 いろいろに言えるにちがいない。だとすれば定義とはなにをどうすることなのだろうか。定義の定義が必要になる。 結局、ものは言いよう、ということだと私は思う。 ジェンダーとは定義をどう定義するかということだ。
「こんなバカなことはしないよ」と思われるかもしれません。しかし、長くなると全体が見えづらくなり、あらすじをまとめてみたら同じことをしている、といったことも多いのです。
そのようなときは次の作業をすると良くなります。
書き始めてからのコツは、「一文を単文構造に、できれば短く」です。
次はその原則を守っていないために段落分けができなくなった悪い例。
朝、起きたら気分が悪かったので会社を休もうと思ったのだがしばらくするとおさまってきたので出かけたところ、途中で交通事故があったらしく車が渋滞していて、なかなか進まず、待っているあいだにまた気分が悪くなり、後悔し、やはり体調が悪いときには慎重になったほうがよいと 後悔したのと、それにしても交通整理の要領があまりに悪く、二車線で待っている車の一方ばかりを先にすすめて他方の車線の車が待たされるばかりで、あとから来て先に行くのがいくらもあり、 疑問と怒りを感じた。
今日は朝から気分が悪かった。会社を休もうとも思ったが、しばらくするとおさまったので出かけた。ところが、途中で交通事故があったらしく渋滞にぶつかった。時間がたつうちに再び気分が悪くなった。やはり体調がすぐれぬ時には慎重になるべきだと後悔した。
ところで、その事故処理について不満があった。二車線で待っている車の一方ばかりを先にすすめて他方の車が待たされるばかりなのだ。あとから来た車が先に行く例 がいくらもあった。不公平な交通整理ではないかと疑問と怒りを感じた。
こうしてみると、この文章には二つの山場があることが、はっきりすると思います。つまり、「体調がすぐれぬ時には慎重になるべきだという後悔」と、「不公平な交通整理ではないかという疑問」です。これがその段落の主題を表現する内容、つまり「主題文」です(そんな言い方が決まっているわけではありませんが)。
この二つは、「同じ朝のできごと」という点では共通ですが、後悔と疑問の内容が論理的にはまったく別。つまり、論理的には「話題転換」があいだになければなりません。そこで、二つの段落にわけて、「ところで」でつないだというわけです。
このように、段落と段落の関係は、「主題」同士の関係で決まります。それを明確にするため、一つの文に一つの役割を割り当てられるよう、文を単文にしておくとよいのです。
次も「悪い例」。どのように改善したらよいと思いますか?
『ジェンダーと社会学』を読んだのだが、私には難解なところがあり、とりあげるのをやめようかとも思ったが、次第にこの本の要点がのみこめてきたような気がしたのでとりあげることにしたところ、まとめているうちにそもそもジェンダーとはなにか自分でつかめていないことに気づいたので、そこを補うために『新しいジェンダー』を読んでみたら、そこに『ジェンダーの社会学』に対する批判が展開されており、つまりジェンダー概念が曖昧であるというわけで、ここが自分の納得できない原因だと理解できた。
「しかし」と「だから」を効果的に使うとよいでしょう。つまり「順接」か「逆接」か。まずそれに限ってみてください。 (もちろん、「ところが」「したがって」等、類例もOK)。
「そして」は曖昧になりやすいことばです。ざっと数えても、次のような用例がうかんできます。
どんな場合にも使わない、というくらいがちょうどよいでしょう。
「ところで」は、話題を転換することばです。
ところで、話題転換には二種あります。本題と関係ない話題に転換し、もう帰ってこない場合。もう一つは、本題と関係しており、また戻ってくる場合。「おはようございます。今日は良い天気ですね。ところで例の件ですが」といった日常会話は前者の例。お天気の話はもうおしまい(というか単なる会話オープンの合図)、という意味です。もちろん、レポートがこういうわけにはゆきません。
「ところで」を用いるなら、この項目のように「また戻ってくる話題転換」に限るべきでしょう。
接続詞の「また」は、追加ないし並列という意味がはっきりした言葉ですけれども、使うのを控えたほうがよいでしょう。「なんとなく使った」例があまりにも多いからです。
「すなわち」は、「北極星の方向すなわち北は」といった用例もけっこうですが、引用のときに用いても効果的だと思います。たとえば、
御手洗は『学問の作法 第2版』の96頁で次のように述べている。すなわち、「検討もせず引き写すことと、検討した結果として肯定的に引用することとを、混同してはならない 。これは基本的なことである」と(御手洗 2004: 96)。
「つまり」は、「北極星の方向つまり北は」といった用例もけっこうですが、論理のうえで「解釈」のステップをはさむ場合に有効だと思います。たとえば、
表1を見よう。「賛成」が10%、「どちらかといえば賛成」が40%、「どちらかといえば反対」が10%、「反対」が40%となっている。 単純な合算では賛否が半々だが、「賛成」と「反対」だけをとってみると反対が優勢である。つまり、はっきり態度を決めている人だけとってみれば反対の傾向が強いということだ。