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文の役割分担

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重点

価値判断と事実分析の区別

吟味・咀嚼・とらえなおし

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例文

 次の例文AとB。読み比べてみましょう。 (以下、例文は内容もすべてフィクションです)。

例文A

 長時間労働が個々人の生活に与える問題については多くの議論がある。しかし、通勤時間についてはどうだろうか。日本のサラリーマンの多くはとんでもなくひどい職住分離の状態におかれており、1時間を超える劣悪な通勤環境のなかで奴隷のような存在となっている。政府はいったい何をしているのだ。腹立たしい限りである。これだと家庭でのやすらぎなど得られたものではないだろう。団らんの欠如から、子どもが非行に走るのも無理はない。

例文B

 【表1】を見よう。都心への通勤距離がXキロ以上Yキロ未満の地域では通勤時間が平均1.5時間程度となっている(都心生活研究所 1987: 457)。同趣旨の調査をおこなった御手洗が作成した 【表2】を参照すると、なかには3時間を超える地域も含まれていることがわかる(御手洗 2003: 485)。
 通勤時間の長短と家庭におけるいわゆる団らんの有無との間にはなにか関連があるだろうか。この点は慎重に吟味する必要がある。まずもって 問題になるのは「団らん」とは何かということである。この点で参考になるのは美土路の見解である(美土路 1999: 56-85)。

 例文Aの良いところ

  • 問題について強い関心を持っていること。

 例文Aの悪いところ

  • 説得的な論証になっていない。
  • 事実について検証・推測をしていない。
  • 用語が乱雑。
  • 先入見や感情で判断している。
  • 背後に検証されざる仮説を隠し持っている

例文Bの文の良いところ

  • 事実を挙げて示している。
  • 本や報告書を調べている。
  • 事実Aと事実Bのあいだの関連を証明しようとしている。
  • ことばの意味を定義して使おうとしている。
  • 総じて、事実分析に集中している。

例文Bの悪いところ

  • これだけだと、なんのためにこんな分析をしているのか、見えない。

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判断と分析の区別

課題の明示

 このレポートは、通勤時間の長さと生活のゆとりの関係について調べようとしています。これを「課題」(ないし「課題意識」)と言います。

 どうしてそれを「課題」にしようと思ったのか。それは、そこになんらかの「問題」がありそうだ、と判断したからでしょう。このように、そこに問題が潜んでいるかも知れないとする判断や、いろいろ調べてその問題の解決法を探そうとする意欲を、「問題意識」と呼びます。

 レポートでは「課題」が与えられている場合が多いので(私の授業の場合は課題を自分で選べるようにすることが多いのですが)、それに自分がどんな「問題意識」をもって臨むかが重要になります。

 問題意識のなかには、なんらかの事象を「良いこと」「悪いこと」と評価する判断が入っています。これを「価値評価」または「価値判断」と言います

*私たちは常に価値判断をしながら、何かを良いことであり何かを問題含みであると定義して、生活しています。研究には常に価値判断が含まれており、 それについても研究者は自覚し、責任を負わなければならないと、私は考えています。つまり、論文には、こうした事柄も冒頭に書き込んで「なにが、どうして、調べるに値するのか」を示しておかねばなりません。

 レポートの冒頭には、課題、問題意識、価値判断などを書き込んでおくことになります。これを総じて「課題の提示」等という場合もあります。

 課題の提示:
 問題意識に導かれながら、研究課題を提示し、報告のねらいを定め、あきらかにすること。

 しかしそれだけではレポートは始まりません。例文Bでは、ある統計データの吟味というかたちで、ねらいを達成しようとしました。この、意図としてのねらいを達成するために設定された作業課題のことを狭義の「研究課題」と呼ぶこともあります。

 研究課題: 分析の対象や方法を定めること、設定された作業課題。

 価値判断排除の原則

 ひとたび「事実の紹介や分析」に入ったら、むやみと「良い」「悪い」を書くわけにはゆきません。その判断が正しいかどうかを論証するのが分析の役割なのですから。

 分析途上では、事実に即した検討をおこなわなければならない。これを「価値判断排除の原則」と言います。

 価値判断排除の原則: 
 事実分析においては価値判断を混入させない原則。

課題は序論に、分析は本論に、と書き分ければよいでしょう。

 第1節
 長時間労働が個々人の生活に与える種々の問題については多くの議論がある。しかし、通勤時間についてはどうだろうか。その拘束時間もいわゆる「シャドウワーク」として深刻な問題を含んでいるであろう。それについて分析するとき課題となってきたのは、1)その測定方法と、2)実際の生活との関連の論証であるという。以下、都心生活研究所がおこなった調査データに即しながら、考えてみたいと思う。
 第2節
 【表1】を見よう。都心への通勤距離がXキロ以上Yキロ未満の地域では通勤時間が平均1.5時間程度となっている(都心生活研究所 1987: 457)。同趣旨の調査をおこなった御手洗が作成した 【表2】を参照すると……

 さて、本論部分でおこなうべきなのは分析ですが、「人類史上初」の分析にとりくんでいるのでない限り、すでにある分析結果(先行研究)とのつきあわせが具体的な内実になります。そのとき必要になるのが、「吟味・咀嚼・とらえなおし」です。以下、順に。

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吟味

 次の例文を見てみましょう(架空)。便宜上、①②のような数字を入れます。

 ①【表1】を見てみよう。②都心への通勤距離がXキロ以上Yキロ未満の地域では通勤時間が平均1.5時間程度となっている(都心生活研究所 1987: 457)。③しかし、同趣旨の調査をおこなった御手洗が作成した 【表2】を参照すると、なかには3時間を超える地域も含まれていることがわかる(御手洗 2003: 485)。④つまり、この地域から都心に通勤している人々は、かりに5時ちょうどに帰路についたとしても、帰宅は8時ということになる。

 文②と文③は、ともに、事実(を紹介した先行研究)の紹介です。しかし、この文の書き手は、それを次の判断のもとで紹介しています。

  • 文②よりも文③で示された事実のほうが詳しく精確だ。
  • 文③の事実のほうが自分の立論にとって重要な意味を持つ(なぜなら文④のような推測をすることができるから)。

つまり、書き手は、先行研究による事実報告や解釈・分析の結果を「批判的に吟味」したことになります。

「吟味してとりあげる」のは、単に「写した」のではない。 

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咀嚼

 例文を見ましょう(例によって架空のものです)。

 都心生活研究所によれば、都心への通勤距離がXキロ以上Yキロ未満の地域では通勤時間が平均1.5時間程度となっている。 この「1.5時間」より短いか長いかが、家庭生活の質にとっても決定的な境界線であると、同研究所は指摘している(都心生活研究所 1987: 489-98)。
 どうして「1.5時間」なのだろうか。同研究所によれば、その理由は次のようになる。すなわち、第一に、○○。第二に、△△、第三に□□(都心生活研究所 1987: 666-87)。
 今の指摘のうち第三点はやや難解であるが、藤子の説によれば、 これは□□という意味だという(藤子 1989: 13)。この分析によれば、これを「1.5時間仮説」と定式化することにも確かに根拠はあると言える。
 この指摘に対応して私も卑近な例を考えてみると次のようになる。第一に、○○。第二に、△△、第三に□□。
 この観点から見直してみると、石ノ森による先行研究も同様の指摘を含んでいたことがわかる。たとえば、石ノ森による「□△○○△□」といった指摘はもう一度の注目に値しよう(石ノ森 1975: 54)。

 書き手は、次のことをしました。すなわち、

  • 先行研究から、注目すべきデータを選択し、同書がそのデータをいかに解釈・評価しているか、かいつまんで紹介した(1.5時間仮説)。
  • 解釈や評価に対して、「どうして」という問いをたて、その論旨を追った。そのおり、内容を「第一に、第二に」と整理した。
  • 参考文献で理解を深め補強した( 「藤子の説によれば」……「確かに根拠はある」)。
  • 先人の説の再評価につながっている(石ノ森の説が「注目に値」する)。
  • 自分でも思考実験してみようとした(「卑近な例」)。
  • これらを通して、「確かに根拠はあると言える」という考えに至りついた。

 つまり、文献を理解しようとしていろいろ工夫したのです。これを「咀嚼」と言います。

 「咀嚼」(そしゃく): 
 噛むこと。転じて、ものごとの意味をよく味わおうとすること。

 この作業によって、他者(先行研究)による理論やデータや分析や考察を、読者に対して紹介してゆく部分のことを 「祖述」と言います。  

 「祖述」(そじゅつ): 先人の説を受け継ぎ述べること。

 この 「咀嚼」・「祖述」がしっかりできているかどうかが、とりあげた文献に「ついてゆく」ことができているかどうかを、はっきり示します。

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とらえなおし

例文を見ましょう。

 しかし、 この「1.5時間仮説」には疑問もある。
 たとえば、御手洗が作成した表2を参照すると、なかには3時間を超える地域も含まれていることがわかる(御手洗 2003: 485)。御手洗 が注目するのは、この「3時間以上層」である。彼は直接に都心生活研究所の分析結果に言及していないものの、両者をつきあわせてみれば、通勤時間が「1.5時間以上」の家庭生活の質という点で問題的な現実の内実をつくっていたのは、この「3時間以上層」だったということになる。
 その「3時間」に注目する彼の理由を私なりに要約すれば次のようなことになる……  

 書き手は、次のことをしました。すなわち、

  • 対立するデータや解釈はないか、探した。
  • 「つきあわせ」の作業によって、「確かに・・・しかし」というディスカッションを構成した。
  • 新しいデータと解釈をこのディスカッションの文脈のなかに位置づけた
  • すでに紹介してあったデータや解釈を、この新しい解釈のなかで再解釈した。
  • 「私なりに要約すれば」と、新しいデータや解釈の論旨を追った
  • つまり、さっきとは異なる立場に身を置いてみた。

 このように、対象に沿って吟味しながらも、それを異なる観点や方法から見直してみることを「とらえなおし」と言います。

とらえなおし: 先行研究を新たな文脈の中に位置づけ、解釈しなおすこと。

 --以上、吟味・咀嚼・とらえなおし、まずはこれにチャレンジしてみてください。これがあれば、仮に結論が誰かと同じになったとしても、それは「確かにそうだ」と追試・確証をおこなったのであり、言わば自分のものにしたのです。

 他に「展開」とか「批判的継承」というのもありますが、高級ワザなので省略します。

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ガンコで柔軟

 さて、上の例文たちは、ずいぶん他者の議論を参照しています。しかし、そのマネをしているわけではありません。他者による報告(先行研究)を咀嚼し、祖述したうえで、これに比較考量や批判的吟味を加え、位置づけ、活用しました。

 以上からわかると思いますが、「自分なりの強い問題関心」と「他者の意見に耳を傾ける姿勢」との両方が必要になるのです。いわばガンコさと柔軟さ。なかなか両立しがたいものではありますが、これをかねそなえた文章は、おもしろくなるのです。

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